[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
皆さんは天職に合っておられますか?
私は進路を考えなくてはならない十代の頃、精神を病んでいたのかもしれませんが、
体中空しさが充満して自分の進路を真剣に考えられずにいました。そんな私の進路は自分の成績で行ける学校に進みました。
二十歳になり、その空しさは治りましたが、その時勉強していた英語をもう少し勉強したくなり、就職活動はしませんでした。
家族も亡くなってしまい、私は生活しなければならないので、取りあえず顔見知りの紹介で事務のお仕事に就きました。その会社は正社員として雇ってくれましたが、バブルが弾けたあおりを受けてしまい私が入社した半年後に倒産をしてしまったのです。
無職になった私は「どうせ自分の時間を半分以上費やすなら好きな事に費やしたいと考えだしてしまい、[好きを仕事に」と思ってしまったのです。
そんな一貫性の無い私を正社員として雇ってくれる会社など無く、取りあえず、パート、アルバイト派遣などをして生活をしていました。
その中で物つくりのお仕事に派遣で就いた時が「これが私の天職かも」と思いましたが、
それは私自身の傲りでした。私より器用な方がいたのです。そのお仕事は契約を切られてしまいました。それでも私は [好きを仕事に」を諦めきれず
何か私に向いている[物つくりの仕事]を探し続けながら住宅模型を勉強したりしていました。
生活する為に身体を動かす仕事に就いている時に急死に一死を得るような大病をして左手は麻痺してしまうのです。
「もう物つくりの仕事は出来ない。なぜ病気発症を止める事が出来なかったのか私は馬鹿だわ」と沈む私は麻痺した側の回復リハビリに行った
リハビリ病院で[切り絵]に出会うのです。健側の右手で行う事に何の意味があるのか理解出来ない私は先生に言われるとおりに切り絵をやりました。
私は徐徐に切り絵に夢中になりました。何故なら以前勉強した住宅模型のカッターの持ち方が役に立ったからです。結果的に私は自分を責めなくなりました。
東京に戻ったら、「切り絵を仕事にしたい、これが私の天職なのかもしれない。」
そこまで思うようになりました。
FDAにて切り絵の作成が出来るようになるとは考えてもいませんでした。
若い理事に切り絵の事を話したら「作業中に切り絵を作成してもいいよ」と言って頂き
短時間でしたが切り絵を仕事にしたい」が実現しました。
ただ、その幸福な時間は続かず右手に痛みが走りました。
お医者さんの診断は「腱鞘炎、使わないようにするしかない」でした。
私は以前物つくりの仕事をしていた時十時間同じ作業していても腱鞘炎に成らなかった。
つまり、私の右手にカッターを持って切るという作業が合わないのだ。切り絵は天職ではなかった。状宅模型も途中で諦めて良かったのだ。」
では、私が時間を費やすべき仕事とは、
ある方が「やっていくうちに天職になるかもしれないよ」と言ってましたが、
私の現在の希望では書く仕事が天職であってほしいと思っています。