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私が考える大きなイベント事は、一体なんだろう?
としばらく考え今の自分に対しての弱い所しか見えてこない。
最大のイベントが、頭に浮かんでこない。
思春期に「自分だけは、特別な存在なのだ。」と勘違いしていたり、
周りから白い眼で見られる様な事やいじめに近いからかわれ方をされた事もあった。
親の反対を押し切って、整備士になりたいと工業高校に進んだものも置かれた環境変化に対応したつもりが、大学へ進学し、気が付けば、自分の望む夢から大分離れた人生を歩いて来てしまった様な気がする。
エンジニアに成りたかったはずなのに時代のせいにして営業職を我慢してやった。早生まれなので22歳になりたてで社会に出た。最初の勤務地は、広島だった。1年半後に岡山に移り、半年で島根・鳥取の山陰地方を1人で担当した。その2年後、今度は福岡に移動した。
目まぐるしく20代を過ごした結果、次の年の1月私は、人生最大の“病気”を患い、以降自分の居場所をどんどん狭くし陽のあたらぬ人生を送って今に至っている。
神経型ベーチェット病・・・・・興味がある方は、GOOGLEやYHOOOで調べてみて頂いて結構。私の場合は、脳内の脳幹が侵され、針湿疹や毛嚢炎が、身体の至る所に出てきて、言語障害・構語障害・眩暈・抑鬱症状なども併発してくる為、隔週の通院は、継続して行かなければならない。右目にも症状が出た事があり、放っておくと失明もする。
日々生きる事に疑問を持つ様になり、存在意義や価値のない自分を心から悔やむ。
でも、今、私は幸いな事に家族が居てくれる。特に本当に大切にしたくて大事にしたい家族:娘がいてくれる。彼女は、もう反抗期を迎えている。もうすぐ思春期にも入るだろう。
せめて、この娘の為に出来る事は、やり尽くしたいという思いがある。役立たずのダメな親だが、彼女が成人し社会に出て、結婚し親になった時、その時の子供に「おじいちゃんの話」として私の存在を後世に話す時まで諦めずに生きた自分の生涯を教養も含めて話して欲しいと思う。
私の人生で起きた最大のイベントは、「娘」が居てくれる事。
愛情とは、ためらいなく自己犠牲できるか否か?だと気づかせてくれた。彼女を出来る限り悲しませぬよう育て、行ける所まで生きたいと思う。